アメデ灯台

アメデ灯台はフランスで初の金属性の灯台であり、その歴史もユニークです。

ニューカレドニアで何隻もの船が座礁したため、1861年、フランス政府はニューカレドニアに灯台を設置することにしました。1862年、パリのビュット・ショーモン地区にてエッフェルアトリエのエンジニア、リゴレ氏が灯台建設に取りかかり始めました。

契約条項によると、リゴレ師は灯台がアトリエの外部で組み立てられるよう要請し、2年間、56mのアメデ灯台はパリにありました。そして1265の部品に解体されると、387,953kg重さがありましたが、セーヌ川からル・アーブルの港へ、そして最終目的地であるニューカレドニアへと運ばれました。

10ヶ月かかって、現地の兵隊、労働者が協力して、アメデ島に灯台が建てられました。それは1865年11月15日のことであり、ナポレオン3世の妻、ウジェニー皇后と同名の聖ウジェニーの記念日でありました。そうして環礁の自然にできた3つの入り口のひとつ、ブーラリ水路を照らしました。

高さは56mあり、ヌメアから24kmの地点にある長さ400m幅270mの小さな島にそびえ立っています。鋳鉄でできた247段のすばらしい階段を上って、灯台の頂点まで登る勇気のある人は、はっとするような絶景を堪能することができます。

南半球の反対側、つまりフランス本国のロッシュ・シュール・ドゥーブという村にアメデ灯台の双子の片割れが英仏海峡の航海士たちを守っています。アメデ灯台より2年後に建てられ、1867年のパリ万博での呼び物でした。

アメデ灯台はそのことから南太平洋で唯一の呼び物であり、世界で一番大きいラグーンの世界で一番高い灯台のひとつです。